美濃加納藩の第6代藩主(最後)・加納城主(岐阜城)・子爵。32,000石。父、陸奥福島藩主・板倉勝俊(七男)。陸奥福島藩・板倉勝顕の弟。正五位。嘉永5年(1852)7月、第5代藩主永井尚典の養子となる。文久2年(1862)10月17日家督を相続し藩主となる。講武所奉行、寺社奉行および奏者番を兼任し、慶応3年(1867)には若年寄と会計奉行を兼任。同年大政奉還を機に若年寄を辞職して帰国。戊辰戦争においては新政府側に恭順した。明治2年(1869)の版籍奉還で加納藩知事。