永峰秀樹(ながみねひでき)    嘉永元年6月1日〜昭和2年12月3日(1848-1927)

    英文学者・「富国論」、「開巻驚奇 暴夜物語」(アラビアンナイト)の翻訳者。旧名、矯四郎。父、甲斐国巨摩郡浅尾新田の医師小野通仙(四男)。幼くして甲府に出て「徽典館」で漢学を学ぶ。のち長崎長崎に出て某通詞につき英語を修める。のち、永峰家に入り跡を継ぎ、幕府に仕える。戊辰戦争では、撒兵隊士として従軍し上総木更津で官軍と交える。維新後は、沼津で海軍兵学寮に出仕し数学を教え、自ら英語を熱心に勉強した。明治4年(1871)に上京、荒川重平・中川将行らとともに海軍兵学寮の教官となった。海軍兵学校が江田島に移された後も、明治35年(1902)に退官するまで勤続した。訳・抄訳:上記のほか「家政要旨」、「代議政体」、「智氏家訓」、「物理問答」など多数。80歳。「松軒院秀樹日喬居士」。

永峰正樹(ながみねまさき)     大正9年?〜平成9年3月10日(1920?-1997)

     ジャーナリスト。著書:「あるジャーナリストの断章」、「八路軍とともに」。77歳。

墓は、谷中霊園 乙3号11側。正面「永峰家」。