中島迪棄/中島這棄(なかじまこれすて)
文政10年6月〜明治45年2月17日(1827-1912)
算術家。通称、末五郎。父、藩算術師範役中島迪季。長野県松本出身。元松本藩士。藩主戸田光庸(みつつね)・光則(みつひさ)親子に仕え算学師範となる。38歳で失明したが、多くの弟子に教授する。維新の際藩公の抜擢を受けて勘定奉行となり、藩政の改革に参画。のち、県学の数学教授となる。86歳。
墓は、谷中霊園 乙4号2側。正面「中島家供養塔」(写真左)に合祀。昭和20年以降は「中島家之墓」(写真右)に合祀。