中村伝九郎(なかむらでんくろう)・6代    安政6年7月14日〜大正12年7月20日(1859-1923)

    歌舞伎役者。本名、祖父江由三郎。父、両替屋祖父江兵衛(二男)。兄、祖父江鯉登(祖父江鉄太郎)。名古屋末広町出身。俳名、鬼斗のち舞鶴。屋号、新駒屋。初名、中村由丸。10歳のとき子供芝居の「菅原」で桜丸と玄蕃役を務め初舞台。2代目尾上松録の養子となり尾上梅鶴を名乗るが離縁し、のち中村翫雀に入門、中村芝鶴を襲名する。明治18年(1885-1891)9月東京新駒座に上る。のち、市川八百蔵・市川猿之助らと一座する。以後、東京各座で活躍し、明治37年(1904)9月新富座座主。明治44年(1911)11月歌舞伎座に出演し、のち専属となる。大正8年(1919)6代目中村伝九郎を襲名。大正12年(1923)7月市川左団次一座と名古屋を巡業中に死亡。実事を得意としたが、敵方・女方・老役もこなした。65歳。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。山門より墓地に入る最初の通路を行き、突き当り右側。正面「双林院霊鶴日棲居士/・・・」。