中村仲蔵(なかむらなかぞう)・3代目    文化6年〜明治19年12月24日(1809-1886)

    江戸後期の歌舞伎役者。三代目中村仲蔵。前名、中村鶴蔵。俳名、雀枝・秀雀。屋号、成雀屋・舞鶴屋・栄屋。本名、志賀富太郎。幼名、亀吉。父、元は富山藩の足軽で浅草の旅館の番頭村田市兵衛。母、舞踊家志賀せい(勢以)。2歳のとき父が没し、母は、振付師中村伝次郎の後継とするつもりだったが、振付師を嫌い文化11年(1814)5代目中村伝九郎に入門。のち、娘婿となる。諸国を巡り天保9年(1838)中村歌右衛門と共に江戸に入る。中村鶴蔵と名乗り師について修業。嘉永6年(1853)「世話情浮名横櫛」の蝙蝠安が出世役。慶応元年(1865)10月3代目中村仲蔵を襲名。幕末、明治にかけての敵役、老け役で評判だった。初代中村仲蔵の出世話は落語になるほど有名だが、三代目中村仲蔵も落語「淀五郎」に語られている。「忠臣蔵」の端役に出されて、あっという間に殺される役。ムッとしたが気を取り直し後に「秀鶴型」と称されるほどの名役となる苦労談がストーリーとなっている。78歳。
辞世:杖かるし見ぬ山ぶみも丸頭巾

墓は、谷中霊園甲1号11側。桜通りから3基目、北側。正面「贈大講義中邨仲蔵命之墓」。