中村蘭林(なかむららんりん)/藤原蘭林/藤原明遠/中村深蔵 元禄10年〜宝暦11年9月3日(1697-1761)
江戸時代中期の儒者。東京出身。名、遠八・明遠。通称、深蔵・玄春。字、子晦。号、蘭林・盈進斎。本名、藤原明遠。父、幕府医官中村玄悦。父に医学を学び、室鳩巣(むろきゅうそう)に儒学を学ぶ。父を継ぐ玄春という医官であったが、儒者になりたくて数年の間許されなかたが、延享4年(1747)西の丸奥医から奥儒者に転じ深蔵と改め、将軍徳川家重に近侍した。室鳩巣に師事したが、朱子学墨守に固執せず、考証を重んじ他学派の説も学び、稲葉迂斎門下にもなった。寛延元年(1748)朝鮮通信使と筆談で朱子学について議論た。遺命して蔵書49部を足利学校に寄付した。65歳。著:「学山録」、「読詩要領」、「孟子考証」、「学規口解」、「通書解翼義」、「読詩要領」、「大学衍義考証」など多数。65歳。台東区指定史跡。
※朱子学:中国南宋の朱熹が大成した新しい儒学。
墓は、玉林寺(谷中1-7-15)。宗善寺崖下の「一木家之墓」前の通路を入り3基目。小型墓碑。正面「蘭林藤原明遠之墓」。「蘭林院明遠深蔵居士」。