中田俊一(なかたしゅんいち)    明治35年?〜昭和43年10月9日(1902?-1968)

    プラチナ万年筆創業者。父、鳥取県の豪農中田三蔵(三男)。島根県鹿足郡出身。岡山にて学問を習得。18歳で万年筆業界にかかわる。大正8年((1919)中屋万年筆を岡山で創業、その後大正13年(1924)東京上野に拠点を移しプラチナ万年筆に改名した。昭和26年(1951)都議会議員。66歳。

墓は、寛永寺第一霊園。最も南側の一段と大きい墓碑。