中山玄玄(なかやまげんげん)    明和8年11月12日〜文化14年8月17日(1771-1817)

    医家・「傷寒論」の編纂校訂。名、太。初字、養玄。号、玄玄。豊後鶴先(大分県)出身。皆川淇園に漢学を学び、村井琴山に医学を師事。子は無く、門人高野文明が継ぐ。47歳。著書(編纂校訂):「傷寒論」、「方洛弁」、「分量考」。
※ 「傷寒論(しょうかんろん)」:後漢の時代に張仲景が編纂した伝統漢方医学の古典書。

墓は、宗林寺墓地(谷中3-10-22)。正面「顕考玄玄先生中山君之墓」。墓碑周りに略歴あり。