中山桑石(なかやまくわし) 文化2年〜安政3年1月24日(1805-1856)
国学者。丹後宮津藩士。通称、晦三。父、中山文平。朝川善庵に儒学を、一柳千古に国学を習う。藩の財政を整理すべく進言するも容れられず、職を子の晦三に譲り退隠し、江戸愛宕下に移る。清水浜臣の養子清水光房らと学問に励んだ。また、塾を開いて多くの門人に教授した。52歳。著書:「矯弊私記」、「光房桑石難陳」。
墓は、大正寺墓地(池之端2-1-21)。墓地最奥の塀際中央。台石「中山氏」。正面「達権□弼之墓/源桑石之墓/源充之墓」。「文行院精達日修居士」。