浪華軒〆友(なにわけんしめとも)・初代    明治26年?〜昭和2年6月5日(1893?-1927)

    浪曲師。本名、新井初太郎。浪華軒〆右衛門(酒井幸太郎)の門弟で、師よりも一つ年下で幼い頃から芸事を好み、10才を越える頃すでに踊りが出来て、声色が巧く、清元・新内・常磐津・端唄と、何んでもこいの芸達者であった。若い頃から年に似ず、まれにみる粋人だったと古老はいう。金襖では「柳生旅日記」、端ものでは「祐天吉松」・「小夜衣草紙」を得意とした。まず、奇人の部に属する才腕の持主で、雨の中を晴着を着て平気で歩いたり、氷屋のオガクズの中に飛び込んだりして衆人を驚かせたりしたという。蛇が好きで、懐に入れては持ち歩き、市電の中でカマ首をみせて周囲の人たちを驚かせたりしたが、これも一つの宣伝で、あれが有名な〆友だと印象づけた。酒豪家で、落語家や講釈師とも交際が多かった。谷中にある某寺の住職の弟子だったことがあり、経を上げるより浪花節が好きでこの道に入ったと伝えられている。34歳。
※ 故人歴情報のご提供は、森光俊様。

墓は、大行寺墓地(谷中6-1-13)。本堂に沿って突き当りまで行き、右に曲がり、焼却炉の先を右に入り、右側4基目。正面「浪華軒〆友之墓」。台石「新井家」。「松翠院浪華日友信士」。