浪花亭駒吉(なにわていこまきち)・初代    天保13年〜明治39年1月29日(1842-1906)

    浪曲師。本名、桜井駒吉。名古屋の浪花家辰之助に師事するが破門となり、東京に出て説経浄瑠璃の日暮竜卜と知合い祭文に三味線を使うように教えられ、三味線の名手戸川てると巡り合う。戸川てるは、駒吉の合三味線となる。その後、駒吉は関東節を高調子に改め、浪花亭駒吉を名乗り、多くの研究を重ね関東節の基礎を確立し、関東節の開祖と称される。浪花節を大道芸から寄席芸に高め定着させた。63歳。

墓は、天眼寺墓地(谷中1-2-14)。墓地に入りまっすぐ、松平家墓の数基先、左側。「田代・谷口/家之墓」。「浪花亭一誉駒声信士」。