南条俊賢(なんじょうとしかた)     元禄6年8月10日〜寛延4年6月7日(1693-1751)

    伯州羽衣石(うえし)城主南条元清(官位:左衛門尉)の玄孫(孫の孫)。名、源三郎・主税・隼人・右衛門。号、与兵衛。父、南条伊左衛門宗益(1666-1709)。母、木村市左衛門の娘。宝永3年(1706)はじめて将軍徳川綱吉に拝謁。宝永6年(1709)御小姓組の番士となり、遺跡を継ぐ。享保10年(1725)西城の御書院番になる。妻は、土井大炊頭家家臣井上新左衛門の娘。後継は、実弟南条俊名(1705-1766)、その後は、俊名の実子南条俊冨(1739-1808)。

※ 南条元清: 別名、小鴨元清(おがももときよ)。安土桃山時代の武将で伯耆国久米郡羽衣石城主。”岩倉城主”という説もあるが、墓碑の略歴には”羽衣石城主”とある。

墓は、大円寺墓地(谷中3-1-2)。山門を入り、右奥の隅。正面「顕妙院殿勇宜俊賢居士/延寿院殿妙幸日信大姉」。昭和15年(1940)9月南条竹松が先祖を合祀して立て直したもの。南条俊冨墓も右側に並ぶ。