那須資明(なすすけあき)     宝暦10年〜天保3年1月5日(1760-1832)

    交代寄合旗本・那須家8代当主。名、豊太郎・与一。号、芝山。母、土屋土佐守好直の娘。安永6年(1777)家督を相続。正室は、津軽藩7代藩主津軽越中守信寧(1739-1784)の娘で、津軽信明(1762-1791)の妹豊。後室は、神保和泉守茂清の娘。文化6年(1809)那須資礼を養子とし娘と結婚させる。資明は、中世以来那須家に伝わる文書の写本を作成、また旗や太刀などの家宝を写生などし、和歌や漢詩も嗜むなど文化人でもあった。画家でもあり、作品には、「与一の里大田原 那須与一画像」、「鎧着古方法」、「那須家軍器図(国の重要文化財)」などがある。

※ 那須資徳が、津軽信政の実子で、那須資明の妻が、津軽信寧の娘ということで、那須家は津軽家と強い結びつきがある。

墓は、養寿院谷中墓地。乙7号3側前に入る。正面「天保三壬辰年/円義院殿牲達芝山大居士/正月五日 霊位」。