那須資隣(なすすけちか)     宝永3年12月27日〜享保18年6月8日(1706-1733)

    那須家6代当主。幼名、豊丸のち与一。父、下野国烏山藩2代藩主(5代当主)那須資徳(なすすけのり:寛文12年〜宝永5年6月25日)(長男)。資徳は相続問題「烏山騒動」により、貞享4年(1867)一時改易となる。その後元禄13年(1700)旗本して復帰。母、花房正矩の娘。宝永5年(1708)家督を継ぐ。妻は、桑山甲斐守一慶の娘。

墓は、養寿院谷中墓地。乙8号3側前を入る。正面「享保十八年癸丑年/芳池院殿樹光徳雲大居士/六月八日 霊位」。