奈須恒徳(なすつねのり)/奈須柳村    安永3年〜天保12年1月28日(1774-1841)

    江戸後期の医師。本姓、田澤氏。号、柳村。字、玄?(中の下に皿)。父、幕府医官田澤安久(次男)。寛政4年(1792)9月幕府医官奈須氏の養子となり、寛政8年(1796)家督を継ぐ。医学院に入り多紀藍渓に師事するも考証学を重視する学風を嫌い、奈須家の祖先とかかわりのある曲直瀬道三の学説を受け継ぐことに務め、古医書の研究を志した。多紀家と袂を別れたこともあり医官になるのをあきらめ、医史医籍の研究に励んだ。寛政12年(1800)「捧心方」の校正を終わり、「大同類聚方」、「萬安方」、「頓医抄」など足利時代以前の医書30余種の校正に着手し、内23種を刊行した。文政5年(1822)集大成した「本朝医談」を著す。また、天保元年(1830)「本朝医談二編」を発表した。68歳。

墓は、了ごん寺墓地(谷中7-17-2)。