日道/日潤(にちどう/にちじゅん)    宝暦13年?〜享和3年7月29日(1763?-1803)

    延命院事件時の住職。父、上方歌舞伎役者初代尾上菊五郎(1717-1783)(庶子)。幼名、丑之助。歌舞伎役者として将来を嘱望されていたが、彼の美貌がもとで刃傷沙汰の事件があり(いくつかの説があるが)、ひいきをして頂いていた延命院の住職日暁(日寿?)を頼って僧侶となり、道暁と名乗る。日暁が死ぬと跡を継ぎ住職となり日潤と名乗る(巷では日道とも呼ばれた)。住職の美貌に惹かれて寺中にある七面明神に女性参拝者が増え、大奥の女中までが日潤目当てに通うようになった。寺内に秘密の部屋を設け、説教に名を借りて参拝に来た町娘・諸大名家の侍女・大奥女中ら59名を勧誘、通夜と称し秘密部屋に泊らせ、日潤はついに女犯を犯し、またその狂態ぶりは寺社奉行脇坂淡路守安董の知るところとなり享和3年(1803)5月26日に延命院に踏み込み、日潤らを逮捕、同年7月29日潤は死罪となった。40歳。

※ 初代尾上菊五郎の実子と噂される。明治11年(1878)河竹黙阿弥がこの事件を題材に「日月星享和政談」を書いた。小説なども出版されていて正確性を欠いていることをお断りしておく。

墓は、延命院(西日暮里3-10-1)。本堂向拝右脇の小型墓。正面「行碩日潤聖人」。