新山初代(にいやまはつよ)    明治35年〜大正12年11月27日(1902-1923)

    社会運動家。父、下宿屋新山源次郎(長女)。母、せん。東京市小石川区富阪町に生まれる。大正5年(1916)東京府立第一高等女学校(都立白鴎高校前身)2年生のとき父を亡くし、母親と雑貨商を営む。間もなく肺病になり、"死"について考えはじめる。新潟で半年間養生中に仏教を研究。大正9年(1920)卒業後、三ノ輪の大伯父の家に転がり込み、現在の上野アブアブ辺りで新聞売りをしながら正則英語学校夜間部(3ヶ月で中退)に通いタイピストとなる。ここでアナキスト金子文子(かねこふみこ:1903-1926)と出会い金子が貸した本を読みニヒリズムに傾注していく。学校中退後、婦人問題・政治問題などに興味を持つようになる。病気のため母と妹と別居せざるを得ず、本郷駒込にて雑貨商を始め、また、大正12年(1923)5月27日朝鮮人社会主義者の朴烈や金子の朝鮮人系秘密結社「不逞社」に参加し、次第に行動的となる。その後、爆弾入手の行き違いから、朝鮮人の恋人金重漢と朴とが不仲となり、金子や朴と決別。大正12年(1923)8月20日根津神社でのアナキストの集会に参加。関東大震災直後の混乱の中、警察による不遜分子取締りで9月24日に逮捕され市ヶ谷刑務所に収監されるが、病気が危篤となり釈放され、11月27日芝の協調会病院で死去。22歳。金子文子の首つり自殺前に死亡。

墓は、法蔵院墓地(谷中1-6-26)。正面「新山家之墓」。墓誌はないが、ご住職が過去帳を調べご案内いただいたもの。ちなみに金子文子の墓は、韓国ムンギョン市にある。