二階堂保則(にかいどうやすのり)     慶応元年9月9日〜大正14年8月4日(1865-1925)

    明治大正期の統計学者。名、菊太郎のち保則。新潟県加茂町出身。代々医者の家に生まれ、幼くして医術を学び、のち統計学を修める。明治31年(1898)内務技手。明治32年(1899)内務省内閣統計局嘱託となり、初めての「人口動態調査」を担当。詳細な死因分類を作成し、その改善充実に努める。国勢院などを歴任、大正9年(1820)第1回国勢調査時には調査課長。大正10年(1921)1月退官後は、東京帝国大学・早稲田大学・日本女子大学・東洋大学などで講師をする。著書:「統計学綱要」、「衛生統計論」など、医家出身のため、人口動態・衛生・死亡・疾病などの統計が特に多い。丹毒を発症し急死する。61歳。妻、鶴子。遺稿:「そのおもかげ」。

墓は、谷中霊園乙2号6側。ニコライ墓前通路向かい。正面「米倉一平/仝 久良子 之墓」。