西川喜洲(にしかわきしゅう)・2代    明治37年〜平成5年5月23日(1904-1993)

    日本舞踊正派西川流宗家。本名、堀口敏子。東京出身。初代西川喜州(喜代春)の幼女となり、日本舞踊を師事。6歳で神田南明倶楽部で初舞台。大正12年(1923)初代が隠居し喜州を名乗ると、2代西川喜代春を襲名。養母没後昭和7年(1932)2代喜州を襲名。昭和38年栄寿と改名。正派西川流は、初代の西川喜州(1875-1931)が大正5年(1916)西川流宗家西川扇藏家と分かれて創流、西川喜州を名乗り初代家元となる。

墓は、常在寺(谷中5-2-25)。「栄寿院妙遠日久大姉」。正面「堀口家之墓」が2代の墓。墓誌には「俊子」とある。隣接する大きな碑は、初代の碑。初代の墓は、足立区千住長円寺。