西川忠亮(にしかわただすけ)・初代    安政2年1月〜明治45年7月14日(1855-1912)

    築地活版製造所会長。実業家。幼名、友三郎。号、可求。父、旧長崎役人西川忠之(五男)。天文学者西川如見の後裔。肥前長崎出身。広運館で学ぶ。のち、丸山作楽に国典・漢籍を学ぶ。明治4年(1871)上京し、外務省語学校に入学、ロシア語を学ぶ。横浜の外国商館で貿易業を8年間勤める。明治15年(1882)独立し、「西川求林堂」を興して印刷用インキ・印刷用機械などの貿易業を始める。明治22年(1889)印刷用インキの国産化に成功し販売する。のち、東京築地活版製造所会長。東京印刷監査役。58歳。

※ 我が国の活版印刷術の発展は、築地活版の話しを抜きにしては語れない。

墓は、谷中霊園 甲5号14側。正面「西川家之墓」。「可求院忠亮日友居士」。