西沢笛畝(にしざわてきほ)    明治22年〜昭和40年10月24日(1889-1965)

    日本画家・人形研究家。名、昴一。旧姓、石川。東京浅草出身。大正2年(1913)荒木寛畝に入門。師没後は、荒木十畝に師事。大正4年(1915)西沢家に入る。南北合派を研究し、花鳥を得意とする。同年第9回文展に「叭々鳥」を出品し初入選。以後、文展・帝展に出品する傍ら人形の研究を行う。第10回帝展より無監査となる。戦後は、日展依嘱出品をする。十畝・池上秀畝ら没後は、「読画会」を代表する作家となり、同会の代表理事となる。大正11年(1922)南支那に旅行、また昭和4年(1929)タイに旅行し、人形を収集。国内と東南アジアを中心とした人形コレクションを行う。雛人形研究の権威でもあり、木彫家益田盛人の一生の傑作といわれる内裏雛に色彩を施し、摂政官御婚儀のとき献上する。昭和11年(1936)「童宝文化研究所」を設立。戦後は、「人形玩具文化の会」と称し、理事長を努める。昭和30年(1955)「日本工芸会」創立に際し理事長となる。作品:「八哥鳥の群れ」、「園の囀り」、「初夏の山」など。著書:「うないの友」、「日本郷土玩具事典」。76歳。

墓は、観智院墓地(谷中5-2-4)。墓地入口をすぐ右に行き、すぐ右側。墓碑は円筒形。正面「西澤家之墓」。養父、西沢仙湖も合祀。