二所ノ関勝己(にしょのせきかつみ)    大正6年2月5日〜昭和50年3月28日(1917-1975)

    関取。本名、北村勝己。佐賀市八戸町出身。昭和9年(1934)3月上京し、横綱玉錦の門に入り、5月佐賀花として初土俵。昭和14年(1939)5月新入幕。昭和19年(1944)1月小結で初優勝、5月に大関昇進。以来7年間大関を務めた。その後、二所の関(玉の海)が廃業し、昭和26年(1951)年寄と二所の関も二枚看板を許される。昭和27年(1952)1月引退。以後は、日本相撲協会の役員として活躍。従五位勲四等瑞宝章。

墓は、宗善寺墓地(谷中1-7-31)。山門右側の低地側墓地。山門側階段を下り、通路をさらに奥に、1本左の通路に移り奥、右側。大鵬・大麒麟らによる碑がある。「北村家之墓」。「淨関院釈淳勝大居士」。