新田新作(にったしんさく) 明治37年4月1日〜昭和31年6月25日(1904-1956)
明治座社長・日本プロレスリング協会理事長。福井県出身。生井一家貸元で関東国粋会副幹事長の子分で、国粋会系「新田組」組長。新田建設社長。昭和25年(1950)東京大空襲で焼失した明治座を復興し社長となる。力道山の後援者。昭和28年(1953)7月力道山らと日本プロレスリング協会設立に参画し理事長となり、プロレス興隆の基礎を築く。競走馬メイジヒカリのオーナーで、「メイジ」は、明治座に由来する。大川慶次郎は、新田新作の競馬担当秘書であった。昭和29年(1954)頃の横井英樹の白木屋乗っ取り劇の調停にも活躍。52歳。
墓は、寛永寺第二霊園。第二霊園入口を入り、花屋を過ぎた辺りを左に行き、右側4基目。正面「新田新作之墓」。「春光院殿俊岳浄新大居士」。「その声音いまだに耳に若葉風」の碑がある。