丹羽浄荘(にわじょうそう)
文久元年〜明治38年8月17日(1861-1905)
明治の哲学者。名、弘三郎。号、浄荘厳居士。愛知県出身。代々尾張藩に仕える。幼くして藩命をもって藩校「明倫堂」に学ぶ。長じて、東京大学で西洋哲学・インド哲学を学ぶ。仙台で奉職。のち辞官し飛騨高山に移る。慈善学館を開く。日露役の中母危篤の報に帰郷。従五位。45歳。妻、中里壽。著書:「支那哲学史綱要」、「印度哲学綱要」。
墓は、谷中霊園 乙4号5側(高台側)。正面「浄荘厳丹羽弘三郎源氏◇墓」。碑がある。