野田太市(のだたいち)     明治12年〜大正9年11月22日(1879-1920)

    明治大正期の医学士。房州丸村(千葉県)出身。明治40年(1907)東京帝国大学医学部卒業。青山内科に勤務。のち開業。傍ら血清化学を研究し将来を嘱望されるも大正9年(1920)に夭折する。41歳。著書:「胃腸の衛生」、「灌腸及腸洗滌法」、「盲腸炎及其療法」。

墓は、寛永寺第三霊園。大通路を行き、右側「福西家之墓」横を右に入り、突き当り辺り。正面「故野田先生碑」。