能勢栄(のせさかえ)     嘉永5年〜明治28年12月18日(1852-1895)

    明治前期の教育学者。東京本郷出身。旧幕臣の家に生まれる。明治3年(1870)大阪より渡米。オレゴン州のパシフィック大学理学部卒業。明治9年(1876)帰国。岡山師範学校・岡山中学教頭・学習院教諭・長野県師範学校校長・福島県師範学校校長を歴任、ベスタロッチ主義の開発主義教授法を指導。明治19年(1886)文部大臣森有礼により文部省書記官・視学官に起用、修身書の編纂に参加。東京高等女学校(お茶の水大学付属高校)校長。晩年は著述に従事。43歳。訳本:アメリカのグリーンウッド、フランスのコンベーレ、ドイツのラインの書など。著訳書:「虔氏応用教育論」、「学校管理術」、「根氏教授論」、「内外教育史」、「新教育学」、「?因氏教育学」、「倫理学初歩」、「実践道徳学」など。

墓は、谷中霊園 甲1号9側。さくら通り側。正面「能勢栄之墓/妻 作子之墓」。