小布施新三郎(おぶせしんざぶろう)・初代     弘化2年2月14日〜大正14年2月17日

     富豪・東京株式取引所監査役。信濃国(長野県)出身。明治維新後、横浜に出て外国商会に勤務。傍らドル相場を研究。明治12年(1879)東京兜町に「小布施商店」を開業し、公社債株式仲買業と古金銀売買業を経営。明治20年(1887)代初めの活況・日清日露戦争から第1次世界大戦などの好景気で業績を伸ばす。明治22年(1889)家督を継ぐ。また、東京株式取引所監査役、のち相談役を務める。80歳。

小布施新三郎(おぶせしんざぶろう)・2代    明治6年〜昭和18年11月14日(1873-1943)

    先代より引き続き株で財をなし寄贈寄付で知られた富豪・東京株取引所商議員総代。神奈川県横浜出身。前名、福太郎。のち新三郎を襲名。家業の株式仲買業を継ぎ大正14年(1925)家督を相続する。昭和4年(1029)イタリア皇帝よりクーロンヌ勲章を賜る。日中戦争がはじまると私財30万円を投じて飛行機を陸軍に献納して個人献納のトップをきった。当時戦闘機7万円・偵察機8万円であった。個人献納は、海軍機にも献納が行われ「報国号」となったが、新聞社への献金でつくったものには「愛国号」「全日本号」と命名された。なお、文京区の不忍通りが目白通りにぶつかる辺りにある「小布坂」の名は、小布施新三郎の屋敷がこのあたり一帯にあったので、この人の名がとられた。71歳。

墓は、谷中霊園 乙13号左10号。正面「金龍院釈布施新歓居士/南無阿弥陀仏/貞松院釈道光寿鶴大姉」。「温容院釈浄楽新成居士」。「金龍院釈布施新歓居士」は、初代。