織田完之(おだかんし/ひろゆき) 天保13年9月18日〜大正12年1月18日(1842-1923)
桂小五郎や高杉晋作らと維新時に活躍。三河国(愛知県)額田郡福岡町高須の豪農出身。幼名は策馬。父、織田良右衛門(五男)。号、鷹洲、寅賓。早川文啓・松本奎堂に師事する。18歳のとき名古屋に行き、松本奎堂に師事。勤王派に加わり、桂小五郎や高杉晋作らと共に国事に奔走した。維新後は明治政府の農業、干拓事業を担当し、とくに印旛沼の治水工事に尽力したが成就せず。明治25年(1892)に引退し、碑文協会を設立、以来、二宮尊徳、佐藤信淵の思想の研究者。82歳。著書:「印旛沼経緯記」、「 農政垂統紀 」、「 本朝農事参考書解題 」、「 大日本農史 」、「 大日本農政類編 」、「 日本農功伝 」、「 水産肇基論 」、「 水産彙考 」、「 済急機宜 」など。
墓は、天王寺墓地。ぎんなん横丁沿い、了ごん寺向き。正面「鷹洲織田完之之墓」。「義諦院全寿鷹洲居士」。