尾台榕堂(おだいようどう)/尾台士超    寛政11年〜明治3年11月29日(1799-1870)

    漢方医・詩人・軍徳川家茂の侍医。父、医師小杉三貞(4男)。名、元逸。号、士超・榕堂また敲雲。通称、尾台良作。魚沼郡(新潟十日町)中条出身。文化11年(1814)16歳で江戸に出て尾台浅嶽に師事し医学を修める。文政7年(1824)母は老い兄が病となり故郷の中条に戻り兄の医業を助けた。天保5年(1834)江戸の大火で浅嶽が死に、尾台家再興のため江戸に出て北槇町に開業する。身分の差別なく診療し評判となり、師浅嶽夫人の望みで家督を継ぎ尾台良作と称した。のち、文久元年(1861)14代将軍徳川家茂の侍医となる。慶応3年(1867)家督を師浅嶽の実子良卿(武雄)に返し、巣鴨へ移住。著書:「類聚方広義」など20部48巻の著書がある。

墓は、観音寺墓地(谷中5-8-28)。墓地入口付近。正面「尾台氏同会墓」。隣接する碑は、現代文で略歴が書かれている。