荻昌吉(おぎまさきち)     嘉永7年12月23日〜明治38年11月3日(1854-1905)

    明治天皇侍従。父、荻昌国(長男)。母、恵良氏。熊本県出身。はじめ元田永孚の門に学ぶ。のち、慶応義塾に入学。明治7年(1874)宮内省9等出仕。侍従兼主猟官。明治18年(1885)昨年来勅命により九州諸県等の自然災害および民情視察をし、報告書を宮内卿伊藤博文に上呈。この報告書では、九州諸県の青年が官立学校より私立を好む傾向があると、危機感を示しているという。明治26年(1893)辞職。従五位勲六等瑞宝章。52歳。

墓は、本行寺墓地(西日暮里3-1-3)。墓地に入り、真っ直ぐに行き中程の左側。塀際。正面「従五位勲六等荻昌吉之墓」。「進徳院義運日昌居士」。