荻野伊三郎(おぎのいさぶろう)・初代    元禄16年〜寛延元年2月5日(1703-1748)

    京都の歌舞伎女形俳優。享保期(1716-1735)江戸の若衆形。三重県伊勢出身。父、2世荻野長太夫の説あり。俳名、初朝。幼少より京に出て初代荻野八重桐に師事。宝永6年(1709)「役者若咲酒」に子役で出る。京都の舞台で若衆方、女形をつとめ、享保8年(1723)江戸に出て市村座に入り立役になる。元文5年(1740)京の戻り中村粂太郎座に入る。のち再び江戸に下り、中村座で活躍。当時は、4世市川団十郎、2世大谷広次、中村助五郎と共に四天王と称された。容姿、音声にめぐまれ、和事・実事・荒事・武道事などをこなした。

墓は、瑞輪寺 (谷中4-2-5)。「視聴院信乗日敬」。瑞輪寺寺務所によると該当する墓碑はないとのこと。本名不明につき調査継続中。