及川裸観(おいかわらかん)    明治34年〜昭和61年11月22日(1901-1986)

    健康普及活動家。本名、及川清。岩手県出身。鍛冶屋家に生まれる。小学校時代から虚弱体質だった裸観は、20歳過ぎから乾布摩擦中心の「裸修行」を行い健康体となったことをきっかけに、昭和14年(1939)以来、毎日「笑いは健康の泉 ワッハッハ」と大きな声を出して上半身裸の半ズボンで、「ニコニコ運動・無一物中無尽蔵」と書かれたのぼりを手に、谷中・日暮里を中心に歩き回った名物おじさん。自ら健康普及会ニコニコ裸運動を主宰、日本全国を行脚し健康体操の指導・健康相談に尽力した。西日暮里の関川病院で没したが、彼の活動は自身の長寿が証明した。活動拠点の「ニコニコ道場」は、経王寺から諏方神社へ至る道路の途中右側、現在のスイスの山小屋風カフェ「シャレースイスミニ」のある辺りにあった。

 
墓は、霊梅院墓地(谷中5-8-19)。墓地入口から2・3本目通路を右に、突き当り手前の通路を左に、左側。