丘 浅次郎(おかあさじろう)    明治元年11月18日〜昭和19年5月2日(1868-1944)

    動物学者。遠江掛塚(静岡県)出身。明治19年(1886)帝国大学理科大学動物学選科入学。ドイツに留学し、フライブルク大学でワイズマンに師事するが嫌い、ライプチヒ大学でロイカルトに師事。明治27年(1894)帰国、翌年山口高校(山口大学)教授。明治30年(1897)高等師範学校教授。大正14年(1925)帝国学士院会員。昭和4年(1929)東京文理科大学(筑波大学)講師。昭和11年(1936)退官。ヒル類・ホヤ類・コケムシ類について研究。進化論の啓蒙・普及に貢献。のち、仏教的な進化論に転換した。合理主義的・世界主義的な評論家として活躍。一方、文章もうまく国語の教科書にも採用されたが、明治の文章教師たちの“規範”と相容れなかったため、一高に入ってから2回も落第した。日本動物学会会頭。夫人は、岩村通俊の娘月子。著書:「進化論講話」、「生物学講話」、「疑いの教育」など。

墓は、谷中霊園 乙12号9側。岩村通俊墓域内。正面「丘家之墓」。墓誌はないが、岩村一族の墓域にあるのでほぼ確かであろう。