岡田満(おかだみつる)    ?〜大正2年(?-1913)

    阿部守太郎外務省政務局長暗殺犯人。大正2年(1913)孫文ひきいる国民党第2革命軍が南京で敗北すると、同年8月31日袁世凱政府の将軍だった張勲の軍隊が南京に乱入し虐殺、強姦、略奪をほしいままにした。その後1ヶ月以上続き数千人におよぶ死者がでた。このとき少なくとも日本人10数名が殺害された(南京事件)ため日本国内の世論は激昂した。同年9月5日右翼の少年岡田満(19歳)と宮本千代吉(22歳)は、対中国軟弱外交の張本人であるとして阿部守太郎外務省政務局長を自宅付近赤坂霊南坂で襲撃し刺殺した。岡田は9日、同志の助けを得て某弁護士宅で中国の地図を布いてその上で割腹自殺を遂げた。また岡田の主張は、当時の日本の大アジア主義者の「中国統一支持、孫文応援」であった。

墓は、全生庵墓地(谷中5-4-7)。崖下。墓碑には氏名以外のなにものも記述がない。宮本千代吉墓は、隣りにある。