岡野(おかの)    元禄7年〜明和4年(1694-1767)
    徳川将軍2代・3代に仕えた大奥の筆頭老女。父、宗仙法印(二女)。家光将軍の信任厚く、岡野が病没すると、家光は深く哀悼し永代回向のため、南泉寺に葵の紋章使用を許し、朱印寺として遇した。また、貞享3年(1686)老女岡野の遺言で朱印地三十石を南泉寺に賜る。将軍自ら墓参したが、これは臣下の墓へ前例のないことだと記されている。養子に高松藩士能勢小原太がいる。

洞庵宗仙法印(どうあんそうせんほういん)     天亀3年〜元和5年5月7日(1572-1619)

     織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3代に仕えた御典医。17代上池院。名、宗僊。民部卿。織田信長・豊臣秀吉の両公に典医として仕え、のち慶長13年(1608)将軍徳川家康に拝謁。典医に任ぜられて徳川秀忠に仕える。「法印」の称号で子孫代々将軍に仕え幕末まで続く。代々の勅賜号は、上池院洞庵三位民部卿法印。老女岡野の父。妻は、近藤源五郎左衛門正之の娘(寛文8年8月5日:「長慶院殿松室寿法大姉」)。

※ 向かって右側には、「坂家代々之墓」があり、墓誌はないが、下記の方が葬られているものと思われる。
     坂 宗説  慶長13年〜寛文元年(1608-1661)  ?、全久  ・・・秀忠・家光に仕える
     坂 寿仙  ?〜承応元年(?-1652)  吉の助、三益     ・・・家光に仕える
     坂 宗純  寛永14年〜永宝元年(1637-1704) 四郎三郎、玄清 ・・・家綱に仕える
     坂 東林  延宝5年〜延享元年(1677-1744)  ?、東林   ・・・綱吉に仕える
     坂 満◇(たつ) 享保7年〜安永2年(1722-1773)  大進、慈恭 ・・・吉宗・家重・家治に仕える
     坂 宗恭  延享3年〜天明8年(1746-1788)  文助、独照 ・・・家治に仕える
     坂 宗真  ?〜正徳2年(?-1712)  政二郎、宗真      ・・・家綱・綱吉・家宣に仕える
     坂 宗長  延宝4年〜延享元年(1676-1744)  吉太郎、元益 ・・・綱吉・家宣・吉宗に仕える
     坂 宗英  享保7年〜明和3年(1722-1766)  吉十郎、宗名 ・・・家重・家治に仕える
     坂 宗之  寛延元年〜?(1748-?)  寿一郎、法名?   ・・・?

墓は、南泉寺墓地(西日暮里3-8-3)。墓地奥、高台の中ほど。岡野:正面「栄寿院殿松岩慧昌大姉」。宗仙法印の墓も隣りにある(写真右):正面「洞庵宗仙法印」。洞庵室墓も隣接するが、墓誌によると骨はない。