岡内重俊(おかうちしげとし)    天保13年4月2日〜大正4年9月20日(1842-1915)

    海援隊隊員・男爵。元老院議官。土佐郡潮江村(現、高知市潮江)出身。父、土佐郡潮江村(現、高知市潮江)清胤(長男)。別名、岡内俊太郎。慶応3年(1867)佐々木三四郎に仕え長崎の土佐商会に勤務。この時期に坂本竜馬と交流、海援隊に入る。イカルス号事件の解決やライフル銃1300挺購入に尽力。土佐藩内尊皇派と竜馬との会談を実現。維新後、明治2年(1869)司法官、明治6年(1873)欧州を視察、のち司法大検事、高等法院陪席判事、明治19年(1886)元老院議官、明治23年(1890)貴族院議員を歴任。明治33年(1900)男爵および日露戦争の功績により旭日重光章。74歳。

岡内重清(おかうちしげきよ)     明治17年〜昭和42年8月24日?(1884-1907)

     男爵。父、岡内重俊(長男)。東京本所出身。大正4年(1915)襲爵。正三位。夫人の京子は、岡山県井上哲二の長女。

墓は、寛永寺谷中墓地 乙9号7側。大きな墓誌があり、表側は主に重俊の経歴が書かれている。墓碑裏に、京子出生地の岡山県産の御影石と記されている。昭和45年5月重清の長男岡内重寿建之。重寿は、日本光学工業研究所技師(昭和55年没)で合祀。