小野素水(おのそすい)/月之本素水(つきのもとそすい)    文化11年〜明治30年(1814-1897)

    俳人。長野県出身。本名、宇治慶孝。通称、小野又右衛門。号、素水・黒元舎・成斎・灌山・明義。信濃出身。江戸で書法を松本薫斎と亀田綾瀬に師事。俳諧を小蓑庵確嶺と孤山堂卓郎に師事。卓郎没後は月の本為山に師事。明治7年(1874)為山が俳諧教導職となり「教林盟社」を立ち上げるとき協力した。明治12年(1879)二条家から弓月の称号を許可され、教導職に列する。明治19年(1886)「教林盟社」社長。明治30年(1897)大教正となる。共著:「簒註色蕉翁一代集」、没後明治31年(1898)「ふゆこもり」。85歳。

墓は、乙9号20側。墓碑は板状。寛永寺谷中墓地との境の比較的広い通路に背を向けている。木の下で暗い。