小野田元熈(おのだもとひろ)    嘉永元年〜大正8年6月13日(1848-1919)

    茨城・山梨・静岡・宮城・香川県知事。錦鶏間祗候・貴族院議員。父、館林藩士藤野逸平(二男)。群馬県出身。同藩の小普請奉行小野田三五郎の養子。明治初年奥羽に出兵。明治4年(1871)川路利良の勧誘による警察官となる。司法権中警部・権大警部など歴任。何世の役に抜刀隊長として田原坂にて戦う。明治11年(1878)大警視川路利良に随行し欧州を視察。帰国し、警察監獄制度の改革に尽力。明治18年(1885)小笠原一揆鎮圧に出張。明治19年(1886)小笠原島司として島政の改革をする。明治21年(1888)南洋探検をし硫黄島3島を発見し、日本領土とする。明治27年(1894-1896)警保局長。明治30年(1897)茨城県知事。明治31年(1898)山梨県知事。明治32年(1899)静岡県知事。明治33年(1900)宮城県知事。明治35年(1902)香川県知事。明治39年(1906)4月1日勲一等旭日大綬章受章。明治43年(1910)退官し貴族院議員。明治44年(1911)錦鶏間祗候。
※ 警保局(けいほきょく)は、戦前の日本に存在した内務省の内部部局。警察部門を所管した。
※ 錦鶏間祗候(きんけいのましこう)は、大日本帝国憲法下の宮中に於ける資格の一。

墓は、谷中霊園 乙13号左7側。正面「従三位勲一等小野田元熈之墓/配 安子之墓」。