大久保湘南(おおくぼしょうなん)    慶応元年10月19日〜明治41年2月9日(1865-1908)

    漢詩人。名、達。字、雋吉。幼名、俊吉。号、湘南・小青居士。父、地役人大久保義質(長男)。佐渡相川町出身。佐渡の円山溟北に漢詩文を学ぶ。両親を失い14歳で叔父に伴って函館に渡り、区役所の書記となる。18歳で上京し内務省の官吏となる。このころ明治期の代表的詩人森春濤(1819-1889)の子の森槐南(1863-1911)に師事。しかし、病気により6年ほどで官吏を辞め佐渡に帰り療養。再び上京し逓信省に出仕、法典調査会書記。高等商業学校講師。仕事がうまく行かず函館に帰り「北海道新聞」記者となった。のち「函館日日新聞」主筆。そして森槐南の援助で三たび上京し、「隋鴎吟社」という漢詩の結社を創設。毎月雑誌を発行して隆盛となった。しかし、明治41年2月9日妹和子(花房有恒の妻)が疱瘡にかり看護していて感染し駒込病院で急死した。師の森槐南は、東京日暮里の本行寺の湘南の墓碑に、「ただ詩巻を天地に留むるのみ(惟留詩巻於天地)」と記している。44歳。作品:「随鴎集」。

墓は、本行寺(西日暮里3-1-3)。日暮里駅前。本堂西側通路沿い。正面「大久保湘南之墓」。「随鴎院湘南日達居士」。森大来志・永坂周(石塘)書の墓石がある。