大岡忠恕(おおおかただゆき/ただのり)    文政5年8月11日〜明治13年9月27日(1822-1880)・・・12日生れ説あり

    岩槻藩第7代藩主・大岡忠房家10代当主。父、同藩6代藩主大岡忠固(三男)。通称、邦之丞。嘉永5年(1852)7月4日父死去に伴い家督を相続し、岩槻藩主となる。孝明天皇の妹和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐ際、江戸への道中警備を担当した。慶応2年(1866)3月29日隠居。従五位下。58歳。

墓は、谷中霊園 乙1号9側。当ブロックの最南端。正面「従五位大岡忠恕之墓」。歴代当主は、さいたま市岩槻区龍門寺に合祀墓として存在、また大岡忠光墓もある(H.Nもへい様情報)。