大島雅太郎(おおしままさたろう)    明治元年?〜?(1868?-?)

    「源氏物語」等古書蒐集家・実業家。父、日向国藩士大島景保(長男)。宮崎県出身。慶応義塾に入り、福沢諭吉に学ぶ。三井銀行に入り、大阪・京都各支店勤務。三井生命保険の創立に尽力する。のち、芝浦製作所監査・台湾拓殖製薬取締役。三井合名会社理事。交詢社常議員。戦後は、財閥解体などで没落した。昭和4年(1929)ころ佐渡の旧家から「源氏物語」の古写本を大島雅太郎が買い取って世に出たため「大島本」と呼ばれるが、数有る「源氏物語」の古写本の中でもっとも内容が揃っているといわれる。さまざまな古写本を収集したため、彼の蔵書を「大島本」と呼ぶこともある。コレクションは、「古今訓点抄」1巻・「大鏡」古写本・「爺雲御抄」鎌倉写本・「古今集」(弘安3年、正安1年)・「伊勢物語」古写本・「源氏物語」零本八集・高野版「性霊集」10巻・五山版などに及ぶ。戦後まもなく、貴重書は、村口書房・弘文荘等に売られた。一方、竹柏園門下の歌人であり、また国文学者池田亀鑑の支援者だった。高田馬場の住居を「青谿書屋(せいけいしょおく)」と称したため大島旧蔵書を「青谿書屋本」とも呼んだ。世田谷区代沢の住居は大島雅太郎の晩年または没後、三井系企業に移り、佐藤栄作が昭和28年(1953)ころ取得、さらに竹下登邸となったという。

※ 平成21年(2009)10月30日の朝日新聞によると、大沢家に伝わる源氏物語全54帖の写本「大沢本」が約80年ぶりに発見されたという。そのHPの解説には、次のことが記されている。
「源氏物語」の写本: 江戸時代に版本が普及するまで筆と墨で書き写された。平安時代に書かれた紫式部の自筆本は現存しない。鎌倉時代前期に藤原定家が写した「前田本」などが最も古い。国文学者池田亀鑑(きかん)の分類によると、定家が校訂した青表紙本、同時期に源光行らが校訂した河内本の2系統と、それ以外の雑多な別本がある。現在読まれている本文はほとんど青表紙本系統の「大島本」(室町時代)がもとになっている。
墓は、谷中霊園 甲4号2側。さくら通りに面する。線香台「大嶋」。墓誌なし。没年が不明だが、財閥解体時(1945-1952)までは生存していたものと思われる。