太田資寧(おおたすけやす)     ?〜安政5年9月22日(?-1858)

    遠州掛川城主太田氏の分家5000石の旗本。字、叔靖。号、桔園・容斎。壱岐守。文政11年(1826)6月12日から天保7年(1836)6月11日小普請奉行から日光奉行。従五位。娘の於加久(妙華院:?-1826)は、十二代将軍家慶(1793-1853)の側室。資寧の子に長崎奉行の岡部駿河守長常がいる。

墓は、本行寺墓地(西日暮里3-1-3)。本堂横通路奥、左側の太田氏墓域内。正面「故壱岐守従五位下源朝臣資寧墓」。「円信院殿道蘊日翁大居士」。