大友義珍(おおともよしたか)     享保13年〜寛政9年7月22日(1728-1797)

     江戸幕府高家旗本。大友家第28代。父、大友義武(長男)。通称、孫千代丸・刑部・左京。延享2年(1745)3月15日将軍徳川吉宗に拝謁。宝暦3年(1753)4月8日父義武の隠居に伴い家督を相続。宝暦12年(1762)8月15日高家職となり近江守。のち、因幡守・式部大輔となる。寛政2年(1790)高家肝煎。寛政9年(1797)11月職を辞す。享和3年(1803)3月27日隠居。家督は養子大友義方が継ぐ。「◇◇院殿従四位上侍従拾遣補闕/式部大輔義山道居士」。

大友義方(おおともよしまさ)     延享3年〜文化14年7月23日(1746-1817)

     江戸幕府高家旗本。大友家第29代。名、野津親賢・銀次郎・修理・内蔵助・左京。父、大友義武(二男)。兄大友義珍の養子となり跡を継ぐ。寛政元年(1789)徳川家斉に拝謁。寛政6年(1794)高家見習。従五位下侍従・印旛守となり、同年閏11月26日高家職となる。享和3年3月27日養父大友義珍の隠居に伴い、家督を相続。文化12年(1815)病気のため辞職。文化13年(1816)3月29日隠居し、家督は、養子大友義智が継ぐ。「◇◇院殿従五位下侍従拾遣補闕/因州刺史寿山了慧大居士」。

墓は、玉林寺墓地(谷中1-7-15)。墓地入口の階段上を右に行き、突き当り高台の大きめの笠塔婆群の最左り端にある。