両国梶之助(りょうごくかじのすけ)/出羽海梶之助 明治7年3月15日〜昭和24年1月11日(1874-1949)
関取。本名、古川九八。父、古川熊一。長崎県諫早出身。18歳で大阪に出て時津風部屋に入門、九 九八(いちじくきゅうはち)、のち明治32年(1899)一軸九八と名乗り、さらに翌年国岩と改名。明治36年(1903)常陸山谷右衛門を頼って上京し、両国梶之助と改名し、東京での初土俵を踏む。明治38年(1905)最高位、小結。幕内通算、48勝48敗。幕内在位、19場所。明治45年(1912)に引退後は、12代入間川を襲名し、入間川部屋を創設。大正11年(1922)常陸山没後、常陸山を襲名。三河島事件・昭和7年(1932)の春秋園事件・戦後の苦境などの困難に善処。千代の山・安芸ノ海など名力士を輩出。日本相撲協会取締を経て同相談役。76歳。
墓は、谷中霊園 乙10号7側。正面「古川家」。「大雄院国堂去機居士」。