了翁禅師道覚(りょうおうぜんしどうかく)    寛永7年〜宝永4年5月(1639-1707)

    黄檗宗(おうぼくしゅう)の僧。号、了翁。初名、祖休のち道覚。出羽国雄勝郡出身。幼くして母を亡くし、貧乏だったことから伯父に養われたが、伯父夫妻も死亡。12歳のとき身を桑門に委ね、岩井の龍泉寺の寺奴となる。14歳で諸国を廻った。承応3年(1654)来朝していた隠元禅師を長崎に尋ね師事する。修行中に開発した万病薬に「錦袋円(きんたいえん)」と名付け、池之端仲町で売り出し莫大な富を得た。そのお金で天和の大火の被災者や捨て子を救済。また、延宝元年(1673)不忍池弁天堂近くに一切経を収めるために寛文10年(1670)経堂を建てるため「経堂島」を作った。天和2年(1682)上野の山に一切経を移し、和漢のあらゆる図書を収蔵し講義もする公開図書館「勧学寮」をつくり、僧の学問所と寮(寄宿舎)とした。このため経堂島も取り壊された。了翁禅師座像と道行碑は、もとは「勧学寮」にあった。
道行碑は、元禄5年(1692)につくられたものである。都旧跡。

碑および座像は、寛永寺境内。