三枝守恵(さえぐさもりしげ?) 文禄4年?〜慶安4年4月20日(1595?-1651)
徳川家光の死に殉死したひとり。初名、守重。元和2年(1616)9月15日家光に仕える、元和4年(1618)小姓・200石。元和9年(1623)11月小十人組、400石。寛永2年(1625)1000石。寛永3年(1626)3月11日小姓組組頭。同年12月従五位下土佐守。寛永5年(1628)3000石。寛永10年(1633)4月書院番頭、6000石。寛永19年(1642)3月19日辞職。慶安4年(1651)4月20日家光に殉死。57歳。娘の子堀通周(ほりみちちか:1650-1694は、常陸国玉取藩第3代藩主。
墓は、現龍院墓地(上野公園15-25)。正面「静心院殿一無了性大居士」。裏面「従五位下三枝松土佐守源朝臣守恵」。