嵯峨根良吉(さがねりょうきち)    天保8年〜明治元年6月27日(1837-1868)

    薩摩藩開成所助教。丹後国(京都)宮津出身。医者嵯峨根季重。嘉永7年(1854)宮津藩の派遣で緒方洪庵の「適塾」に入門、蘭学を学び、長崎にて英学を学ぶ。江戸では江川担庵塾で砲術も教える。幕府が初めて汽船を製造すると勝安房・榎本武揚・伊沢謹吾らと乗り組み、近海を測量する。安政5年(1858)島津斉彬を乗せ鹿児島を訪れ、その縁で薩摩藩士寺島宗則の推挙を受け、慶応2年(1866)薩摩藩に招かれた。「船中八策」を薩摩藩に建議。慶応3年(1867)藩士の列に加えられ邸宅を賜る。船奉行補助役・開成所助教。

墓は、谷中霊園 甲1号7側。最もさくら通り側で通りに背を向けている。正面「英峰院嶽岳良心居士/英機院俊岳江蓮大姉」。初め田之浦良英寺に埋葬、のち明治25年(1892)3月25日改葬。