斉藤歓之助(さいとうかんのすけ)    天保4年〜明治31年1月3日(1833-1898)

    神道無念流の達人。名、歓道。通称、歓之助。俗称、鬼歓・夜叉歓。父、斉藤弥九郎善道(3男)。東京出身。父は、千葉周作・桃井春蔵と並ぶ江戸3剣客の一人。平安時代に知られた斉藤別当実盛の末裔。神道無念流の剣術をもって江戸大村公師範役兼物頭となる。嘉永年間に大村藩に帰り、嘉永4年(1851)肥前大村藩に100石で召抱えられ、大村藩の無念流師範役となる。これにより、従来藩の憲法としていた一刀流や新陰流を廃し、無念流に統一された。安政元年(1854)大村城下に微神堂剣道塾を開く。大酒・不節生により25歳で中風に倒れる。のち脇備者頭として厚遇されるも廃藩後大村を辞して東京に帰る。66歳。

墓は、本行寺墓地(西日暮里3-1-1)。本堂前より右側に入りすぐ。正面「為斉藤家代々菩提」。「温達院法初日雄居士」。大きな碑がある。