斉藤桃太郎(さいとうももたろう)    嘉永6年〜大正4年12月26日(1853-1915)

    宮中顧問官・帝室会計審査局長・有栖川宮官家令。父、幕臣(東京府士族)斉藤栄(長男)。東京出身。明治初年昌平校で学び、のち松岡◇谷・尺振八等に師事。明治6年(1873)イタリア留学。明治8年(1875)イタリア公使館付書記見習。帰国して外務省勤務。明治16年(1883)宮内省御用掛。以後、式部官・宮内大臣秘書官・宮内書記官・内事課長・有栖川宮別当など宮内省関係に携わる。明治34年(1901)大正天皇の東宮時代に東宮伝導・東宮大夫。明治38年(1905)帝室会計審査局長・宮中顧問官。正三位勲一等。子はなく、弟の斉藤甲子郎の長男栄一を養嗣子とする。63歳。

墓は、谷中霊園 乙2号新2側。正面「正三位勲一等斉藤桃太郎之墓」。夫人(明治22年5月19日没)・斉藤栄(明治17年5月14日没、「顕徳院殿義明栄光大居士」)および斉藤甲子郎(昭和3年1月4日没、「是彰院観阿道光居士」、65歳)の墓は、甲5号14側にある。