酒井吉之丞(さかいきちのじょう)/酒井玄蕃/酒井了恒 天保13年〜明治9年2月5日(1842-1876)
戊辰戦争時の荘内藩二番大隊大隊長・維新後大泉県参事。幼名、虎之進のち吉弥。名、了恒。字、伯通。通称、玄蕃・吉之丞。父、荘内藩家老酒井了明(長男)。幼いときから読書・撃剣を好み、安政4年(1857)15歳で軍師秋保政右衛門に長沼流兵法を学ぶ。文久3年(1863)庄内藩が江戸市中取締を命ぜられ番頭となる。慶応4年(1868)戊辰戦争時に新政府側に寝返った新庄城を討つべく、荘内藩二番大隊を指揮。新政府軍から”鬼玄蕃”として恐れられた。同盟藩が相次いで降伏する中犠牲者をほとんど出さずに撤退した。明治4年(1871)大泉県参事・兵部省7等出仕。明治7年(1874)密命をおび清国に渡り偵察する。帰国後「直隷経略論」を刊行。伯父、荘内藩家老酒井右京。弟、荘内柿の生みの親で大泉県参事酒井調良。妹、婦人運動家白井久井。弟、書家黒埼研堂。甥、園芸家酒井駒太郎。
墓は、谷中霊園乙1号9側。正面「故荘内藩大夫酒井君之墓」。建立は、弟の調良。山形県鶴岡市の鶴岡大督寺墓地に遺髪碑がある。